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広島のすぅちゃん

BABYMETAL中元すず香の軌跡をたどる

230 中元すず香 MIKIKO先生に出会う

 可憐Girl'sのCDも発売されることとなり、可憐Girl'sはユニットとして世に打ってでることとなる。
 ステージにでるということは歌に振り(ダンス)をつけなければならない。振付を担当することとなったのが、2008年2月にアメリカ留学から帰国したばかりの水野幹子(MIKIKO)であった。

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 MIKIKOとは?
ひと言でいうと、Perfumeの振付を担当し一躍ブレイクした振付師 

 

 MIKIKOの経歴を追うことは、中元すず香の軌跡を追うのにかなり重要な部分なので中元すず香とは離れるが記します。ただ、現在はカリスマ振付師としての地位を確立したMIKIKOさんですが、あくまでも裏方の立場なので経歴を追うのはなかなかに難しい。詳細不明な部分もありますが、調べた範囲で以下。

 

・1977年生まれ
・東京生まれだが幼少期に父親の転勤で広島に
・中学時代はバトン部(ほぉぉ。どこかの学院にバトン部があったりしましたな・・)
・高校2年頃(インタビューによって、2年と言ったり3年と言ったりしている)、ストリートダンスとバレエという両極端の教室に通い始める。
・19歳のときにダンスを教える側にもまわることとなり(広島はダンスが盛んでなく、教える女性が不足していたと語っている)、ダンスを学びつつ先生もこなすことを同時並行で進めた。
・1999年、アクターズスクール広島(ASH)が開校。講師として迎え入れられ、後のPerfumeとなる西脇綾香らに出会う。
・2000年、MAXのバックダンサーオーディションに合格。ダンスユニットVAXの一員としてMAXのバックダンサーを務める。
 以降、様々なアーティストのバックダンサーを務め、東京ではダンサー、広島ではASH等の講師というかたちで東京と広島を行き来することとなる。
・2003年、ASHで活動していた「ぱふゅ~む」(当時)の振付を担当していたMIKIKOは、ぱふゅ~むがアミューズにスカウトされ、東京に進出することとなったのとあわせ、東京でも振付の仕事を行うこととなる。

 「Perfumeの3人はアクターズの1期生に当たり、当初から私も振り付けを担当させてもらっていました。そんなある日アミューズの会長が発掘目的で広島まで来られたんです。そのときに私の振り付けも気に入ってくださったみたいで、Perfumeが東京に出るときに私も誘われて東京でも振り付けを始めることになりました。」
2015年6月19日 OVERTURE No.003 上画像参照

・以降、Perfumeが所属した女性新人タレント育成プロジェクトBEE-HIVEや、BEE-HIVE所属のBOYSTYLEの振付を行うなどし、振付師としての活動が本格化。
(このBEE-HIVEというプロジェクトはアミューズのアイドル育成戦略やさくら学院の設立経緯を考察するにあたり、とても重要なプロジェクトなのですが、いま掘り下げるととんでもない方向に行くのでいずれ触れたいと思います)

 「25歳頃に「やっぱり私、自分が表で踊るより創る方が楽しい」ってはっきりした瞬間があったんです。踊れない子が踊れるようになって、人ってこんなに変われるんだ、魅力的に見えるんだって、そこを引き出すのが好きになって。何もない空間を立体的に肉体の動きだけで見せるもの楽しくなって、どんどん作る作業が好きになってのめり込んでいきましたね。」
2011年10月26日white-screen.jp http://white-screen.jp/?p=11567

・創る魅力に目覚めたMIKIKOは2005年本格的に演出家としての活動を開始。広島で舞台『DRESS CODE』の制作・演出・振付を行う。
 この舞台を見に来たアミューズ会長大里に東京に進出するよう勧められる。

 「自分で作・演出をした公演「DRESS CODE」っていう女子の心情を描いた舞台をやるきっかけがあって。その公演をアミューズ会長の大里洋吉さんが観に来てて「本格的に演出の勉強したら?」ってことになって、「ダンサーとして表に出るのはここで辞めて、作る側に回ろう」と決意したのが27歳の頃です。」
「創るんだったらやっぱり環境が整ってるところに拠点を移さなきゃと思い、広島での仕事を泣く泣く全部辞めて、拠点を東京に移しました。」
2011年10月26日white-screen.jp http://white-screen.jp/?p=11567

 こうしてMIKIKOは広島の全ての仕事を投げ打って、東京に拠点を移す。この時期は、2006年2月頃と推測しています。
 下にリンクを貼っているトウキョウダンスマガジンのインタビューで、「東京で半年、そのあとニューヨークで1年半過ごし、現在の東京に至ります。」と述べているが、帰国したのは2008年2月なので、逆算するとMIKIKOの東京進出は2006年2月頃となります。まあ、日本の感覚からして、2006年3末をもってという感じでしょうか。いずれにせよ2006年春にASHに入学したすぅちゃんとはすれ違いだったんですなあ。

・2006年2~3月頃、アミューズに「演出振付家」として所属

 「舞台作品をアミューズの会長が観てくださったことがあって、その中で気に入ってくださったナンバーが、全部私の振付だったらしくて。その後『DRESS CODE』を広島まで観に来てくださって、“君は本格的に演出の勉強をした方がいい”と言われ、所属アーティストさんと同じ立場での、「演出振付家」っていう肩書きで活動させてもらえることになりました。」
 2008年10月10日トウキョウダンスマガジンhttp://www.tokyo-dance-magazine.com/people/mikiko/index.html

 このあたりがさすがアミューズといったところか。振付師もアーティストとして扱い、抱え込んでしまう。そして才能を伸ばす機会と時間を与える。

・2006年8月頃、アミューズ会長大里に「感性を磨いてきなさい」と勧められ、アメリカに留学する。(アメリカ留学中もPerfumeにビデオレターで振り付けしており、MIKIKOが知らない間に2007年Perfumeは「ポリリズム」で大ブレイク)

 ・2008年2月、アメリカ留学を終え帰国

 

  こうしてカリスマ振付師MIKIKO中元すず香は奇跡の出会いを迎えることとなる。

 

 帰国間もなく、アミューズキッズ初のユニット可憐Girl'sのプロジェクトが動いていることを知ったMIKIKOに「Over the Future」の振付依頼が当然のように舞い込んできた。

 メンバーの1人がアクターズスクール広島所属と聞いたとき、MIKIKOはどのような感慨を抱いたであろう。そのことを語ってくれる資料は見当たらない。MIKIKOはひと言「すぅちゃんと会ったのは東京でなんです」と述べている(2015年6月19日 OVERTURE No.003)。

 

 しかし、才能は才能を見抜いた。MIKIKO中元すず香についてこのように語っている。

 

 MIKIKOMETAL:SU-METAL(中元すず香)はとにかくブッ飛び系なんで(笑)。

-ブッ飛び系!?(笑)

MIKIKOMETAL:もう音がかかったら120%で踊っちゃう。だからもう感覚でやってる感じですよね。ちょっと初めて見るタイプでした。いい意味で外人っぽいっていう。

-外人っぽい!?

MIKIKOMETAL:はい(笑)。この人はきっと凄い人になるんだな!とは本当に思いました。彼女の中では振り付けを踊るってことを感覚でやっているから、カウントというより音で覚えているんですよね。みんなはわりとカウントで覚えるんだけど。彼女は見たことないグルーヴ感なんです。本能でやってる感じ!

      ヘドバンvol.1 より

 ここでのポイントは「踊るってことを感覚でやっているから、カウントというより音で覚えている」というところでしょうか。

 

そしてこのようにも述べている

 ーこれまで振り付けをされてきた中で、特に印象に残っている方は誰ですか?
MIKIKO 強いて言うならすぅちゃんかな。これは褒め言葉なんですけど、本当に感覚だけでやっている。なかなか、他人とは合わせられないんです。ちっちゃい頃から完全にアーティストでしたね。リハの段階から、音が鳴ったら歌もダンスも常に全力投球。まったくセーブができないんですよ。存在自体がブッ飛んでいますね。

  OVERTURE No.003より

 ここでのポイントは言うまでもなく、特に印象に残っている者として、1番に中元すず香と述べているところでしょう。続いて、のっち(Perfume)、YUKI(元JUDY AND MARY)を挙げています。


 カリスマ振付師に「凄い人になる」と感銘を与えた中元すず香であるが、以前触れたように、アクターズスクール広島に通い始めた頃は「ダンスが苦手だった」「嫌いだった」と述べている。
 たしかにここまでこのブログで取り上げてきた動画を見てもどこか自信なさげに踊っている姿が確認できる。
 結論を先に述べてしまうと、MIKIKO先生との出会いを境に、ダンスへの苦手意識がなくなったと感じている。Over the Futureを踊る中元すず香は自信に満ち溢れているのだ。

 

MIKIKO先生の指導はどのようなものだろう?


この動画はMIKIKOがCMのダンスを教えているレッスンビデオ

www.youtube.com

・特徴的なのは幼稚園でお遊戯を教えるかのようなスタイル
 MIKIKOさくら学院に振付をしているのを見た関係者に「振付の先生がとても優しいですね」と言われ、「自分としては厳しくやっているつもりなんだけど・・・」と述べたブログがある(現在は閉鎖)。関係者の「優しい」という言葉の意味は「丁寧で易しい」あるいは「こどもでも理解できるわかりやすい教え方」という意味だろう。

 

・そしてなんといっても「歌いながら」教えているところ

 こちらの動画を見てほしい(適当に拾ってきたキッズダンスレッスン動画です)

www.youtube.com

 1:07あたりから見てもらうと、「ワン、ツー、スリー」とカウントしながら教えてますね。まあ普通の教え方だと思います。ダンスの基本は「ワン、ツー、スリー」「アン、ドゥー、トワ」でカウントとりながら覚えていくし、そう教えるのが基本だと思います。
 でもすぅちゃんは、「カウントというより音で覚え」るタイプなんですな。MIKIKO先生の言葉は裏を返せば「カウントでは覚えられない」。ですので、こちらの動画の先生の指導法ではすぅちゃんはダンスがうまく飲み込めず、ぶっ飛んでダンスができなくなってしまうんじゃないかと。
 どちらがいいとか悪いという問題ではないのはおわかりのとおり。MIKIKO先生の教え方がすぅちゃんにマッチしたということなのでしょう。「歌いながら」教えるのは、たぶん多くのダンスの先生はできないでしょう(だって、歌に自信がない先生もいっぱいいるだろうし)。
 中元すず香はカウントではなく音で覚えるという特性を見抜いたMIKIKO先生の慧眼があってこそ中元すず香の「ブッ飛び系」ダンスの才能が開花した。そう思います。
 歌がない曲の場合(演奏だけの場合)、中元すず香は「たらら~ん、たららー、ちゃちゃっちゃっちゃー」って感じで歌いながら教えてあげるとすぐ覚えるんだろうなあとか。

 


 さあ!そんな風にMIKIKO先生との運命的な出会いを経て、キレッキレのぶっ飛びダンスを魅せた中元すず香の衝撃的なMVがこれです!

 可憐Girl'sで「Over the Future」どうぞ!

www.youtube.com

 いや~、キレッキレですな。
 こちらは通常のMVではなく、カメラのスイッチングなしに正面からダンス全体を撮影したDanceVersionのMVです。

 注目ポイントは2:52あたりから始まる間奏部分でしょうか。とくに2:58から始まる中元すず香の独壇場のキレはすさまじく、見るたびに鳥肌が立ちます。Over the Futureは色んなかたがダンスの振りコピをして踊ってますが、この間奏部分だけは誰もマネできないんですなあ。
 まさに「見たことないグルーヴ感」! 中元すず香がついにダンスの本領を発揮しました。感涙。ありがとうMIKIKO先生!!

 

 

 最後に中元すず香のコメント

可憐Girl'sのときに初めてダンスを誉められたのがうれしくて、歌って踊ることに自信がついたんですよ

 MARQUEE vol.97 2013年6月10日発売 より