広島のすぅちゃん

BABYMETAL中元すず香の軌跡をたどる

1430 その男、森ハヤシ ~WAGE編~

 中元すず香さくら学院卒業式で

きっとね、まだ中学3年生でこれから何年もこの業界で頑張っていくとなると結果がでなくなるときも絶対あると思うんですけど、中元のストイックさはすごい大事だけど、自分がダメだっていうときも許してあげられる、そんな中元の部分も持っていて欲しい

  という言葉を贈った男がいる。

 

 その男、森ハヤシ

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  森ハヤシはアミューズ所属の脚本家だが、2010年よりさくら学院に関わり続け、「担任の先生」としてイベントやトーク番組の司会を務める。森ハヤシとはいったいどのような人物なのだろうか。

 

 ときは1997年。
 広島の地で中元すず香が生を授かった頃、都の西北では、学生2人がキャンパス内で突如コントを始めた。※1
 2人の活動は耳目を集め、お笑いを夢見る学生が集まり始める。
 これが早稲田大学の伝説的なお笑いサークルWAGE(わげ)の始まりである。

WAGE(わげ)
かつて早稲田大学にあったお笑いサークル(非公認)。
名前は「Waseda Academic Gag Essence」の頭文字からとったとされる。
2000年前後にすい星のごとく現れ、東京の大学落研、お笑いサークル界隈では知らぬ者はいない存在だったという。
最盛期には約20名のメンバーが在籍した。

 WAGEは定期的にステージに出演するなどし、じょじょに学外のマニア層にも知名度を広げていったが、WAGEにはコントの脚本を書かせたらピカいちの法学部在籍の秀才がいた。
 それが森迅史である。※2
 森は学生時代をお笑いに捧げるが、勉学のほうも優秀だったらしく、ストレートで大学を卒業。2000年4月、フジテレビに就職する。※3

 森がフジテレビで働きつつ、WAGEの活動に携わっていたか(例えばコントの脚本は書いていたかや、週末のステージには出演していたか等)は不明だが、2001年1月、事件が起きる。
 WAGEがアマチュアを対象としたコンテスト「ギャグ大学偏差値2000」で3位に入賞し、アミューズにスカウトされたのだ。(「ギャグ大学偏差値2000」はアミューズ主催※4)

 ここで問題が発生する。WAGEは20人程度のサークルだが、アミューズが面倒を見ることができるとしたのは「5人くらい」だった。どのメンバーを選出するか、サークルでの会議は紛糾。朝方まで話し合いがもたれた。※5

 選ばれたメンバーは6人。 ※6

 

森 迅史(もり はやし)

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リーダー。1978年2月生まれ。法学部卒。

 

岩崎 宇内(いわさき うだい)

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1978年9月生まれ。政経学部在籍。

 

野中 淳(のなか じゅん)

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1979年7月生まれ。第一文学部在籍。

 

槙尾 祐介(まきお ゆうすけ)

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1980年12月生まれ。第一文学部在籍。

 

小島 義雄(こじま よしお)

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1980年11月生まれ。教育学部在籍。

 

と、もう1人。   写真はいずれも2003年頃のもの

  メンバーの1人は途中で辞めてしまい、5人での活動となるが、リーダーは森。
 社会人となっていた森がなぜ参加することになったのか、詳細は不明だが、お笑いの夢を諦めきれずということなのかもしれない。アミューズの森のプロフィールページには「2002年から本格的に活動開始」とあるので、1年間の兼業期間を経て、本格的にやろうと決めたのかもしれない。
 それにしても天下のフジテレビを辞めてまで… 森の決断は退路を断ってのものであっただろう。

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 アミューズに所属した5人はサークル名を引き継ぎ「WAGE」と名乗った。

 

 WAGEのコントはどのようなものだったのだろう。

www.youtube.com

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 いかがだろうか。
 たしかによく練られたコントではあるが、お笑いを真正面から表現したというより、お笑いと演劇の間にあり、不思議な空間に観客を誘う雰囲気がある。
 森ハヤシが「世にも奇妙な物語」の脚本を書くというのは、さもありなんという感じがする。

 WAGEの映像で私が素直に笑えたのはこちら

www.youtube.com

 タイトルは「WAGEコント」となっているが、その実、お笑いコンビ「ヴェートーベン」メンバーとの合作である。
 ヴェートーベンの久保とWAGEの槙尾(女子高生役)が絡む前半はストレートな笑いだが、森、岩崎とでてくる後半は趣向が違っていることがよくわかる。

 

 WAGEの活動は多岐に渡ったが、2004年4月からRKB毎日放送(福岡のラジオ局)で始めた番組が「WAGEのクチxコミ」。
 WAGEがパーソナリティを務め、アミューズ所属のタレントを招いてトークを繰り広げる番組だったが、WAGE解散後は、森ハヤシと田野アサミがパーソナリティとなり「クチ×コミ」として2011年3月まで続く。
 その後継番組が「もちこみっ!」である。

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 森ハヤシがBABYMETAL東京ドーム公演の感想を語ったことでBABYMETALファンにはよく知られた番組だが、その起源はWAGE

 

 森はWAGE時代から脚本家や司会者としての仕事の幅も広げていた。

 2005年のアミューズプレステージ(現劇団プレステージ)の舞台脚本を手掛けたり

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 2005年12月の、平岡祐太小出恵介、橋本淳、林剛史、森本亮治の若手アミューズ俳優5人組が登場するクリスマスイベントの司会を務めたりした。
 参照:http://ir.amuse.co.jp/pdf/20051102eir.PDF

 

 WAGEは2006年3月、アミューズとの契約が5年で切れるのを機に解散。


 森は後年こんなことを語っている。

一緒に夢を見ていた仲間たちと頑張った結果、挫折したことがあって。
 2015年度さくら学院卒業式森ハヤシコメント

 夢を見ながら仲間たちと頑張った結果、味わったのは挫折。

 森はアミューズに残るが、他の4人はアミューズを離れることとなった。

 5人はその後、それぞれの道で苦労を重ねることとなるが、

 先ずブレイクしたのが小島よしお。

 WAGE解散から1年後の2007年5月、第5回お笑いホープ大賞で決勝に進出し、「そんなの関係ねぇ!」「おっぱっぴー」で大ブレイク。

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 一方、森は、脚本家としての道を歩むとともに、副業として司会やラジオパーソナリティとしての仕事を続けながら芸能界で生き抜いていく。

 脚本家としては、アミューズ舞台脚本や、古巣フジテレビの世にも奇妙な物語北海道テレビのショートドラマ素晴らしい世界などの仕事を請け負っていくが、森に最大のチャンスが訪れたのは、2009年春。
 フジテレビ月9ドラマの脚本の仕事がまわってきたのだ。
 SMAP中居正広主演の「婚カツ!
 森は11話中、3話の脚本を担当したようだ。

 しかしながら、なんとこのドラマは「月9史上初の視聴率1桁を記録」し、暗澹たる結果となった。せっかくのチャンスだったのに森の落胆も計り知れなかっただろう。

 そんな森を救ったのはやはりかつて一緒に夢を見た仲間。

 ドラマの打ち上げの場に小島よしおが登場。
 沈みがちな打ち上げの現場を盛り上げた。

 f:id:pierofw:20171007064115j:plain参照:http://babibox.blog78.fc2.com/blog-entry-847.html

 

 森はその後も脚本家として様々なドラマ、舞台、コント、バラエティに脚本を提供。
 有名どころでは、2013年の「ショムニ2013」などがあるが、森の面白いところは、内村光良大竹一樹三村マサカズなどの大物芸人が出演する舞台(子どもさんかん日、2008年)や秋元康原案のAKB48のドラマ(マジすか学園、2010年)も手掛けていること。内村などは自ら作品の脚本や演出を手掛けることが知られているし、秋元康のような大物が原案の作品を手掛けるのは苦労も多かっただろう。そんな現場もこなしていけるのが森ハヤシの人柄というか、苦労人ならではの幅広さなのかもしれない。

 こうして芸能界で一定の地位を築いていった森と小島だが、他のWAGEのメンバーはどうなったのだろう。

 岩崎と槙尾は、WAGE解散後1年以上のちにコンビを結成。
 長い売れない芸人時期を経て、ついに2013年、キングオブコント2013で優勝。
 それが「かもめんたる」だ。

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 こちらは岩崎が、まだ槙尾とコンビを組む前の2007年8月、森の結婚式に列席した際に記した日記だがなかなかに胸にくる内容となっているのでご一読を。


 5人の中で最も辛酸を舐めたのが野中だろう。
 野中はかもめんたる優勝時にこんなメッセージを送っている

かもめんたるキングオブコント優勝いたしました! 本当によかったです。WAGE活動休止決定時に「いつか5人それぞれビッグになって、『え、あの5人が昔は組んでたの?奇跡だ!』と世の中を震撼させよう」という夢を皆で見ておりました。そう。 残るは1人。僕もがんばります! ありがとう
 http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130924/Ameba_11930.html

 そんな野中も2014年、MBS『歌ネタ王決定戦2014』で回文を歌うネタを披露し、優勝。それがピン芸人手賀沼ジュンである。

f:id:pierofw:20171007064857j:plain中央が手賀沼

 

 こうしてWAGEが解散してから8年以上経ち、メンバーそれぞれがそれぞれの分野で名を馳せることとなった。
 売れない時代も5人の友情は続いていたことだろう。その友情の証なのだろうか、こんなことも行われている。


〇2011年11月23日、さくら学院オープンキャンパス学校説明会」に小島よしおが「体験入学生徒」として登場。「そんなの関係ねぇ!」を披露。

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参照:http://www.news24.jp/entertainment/news/1620203.html


〇2014年3月8日、さくら学院公開授業「コントの授業~目指せ!スーパーコメディエンヌ!~」にかもめんたるが講師として登場。

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参照:http://natalie.mu/music/news/111763

 

〇2015年2月21日、さくら学院公開授業「回文の授業」に手賀沼ジュンが講師として登場。

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参照:http://www.entamenext.com/news/detail/id=1369


 なんとWAGEのメンバー全員がさくら学院のイベントに出演している。(かもめんたるは2017年1月22日「インプロの授業」にも登場)

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 4人の所属事務所はサンミュージック。事務所の垣根を乗り越えた共演が可能となったのは、リーダーとしてWAGEの中心だった森ハヤシならではの技であろう。

 

 そんな森はさくら学院卒業式でいつも心に残る言葉をかける。

 俺みたいなたいした人間じゃなくて、現役の芸人時代はですよ。いまの松井と三吉の1/10も知名度がなかったし、なんならベビメタの1/100の集客力でしたからね。
 そんな俺がね、君たちに色々偉そうに教えることができているのは、君たちよりもたくさん失敗して、一緒に夢を見ていた仲間たちと頑張った結果、挫折したことがあって。なんかその経験から色々学んで君たちに伝える言葉がたくさん生まれてるなってすごく思っています。
 だからね、君たちはたくさん失敗をしなさい。失敗はね、おいしいです。そして挫折も全然いいと思う。挫折は僕は財産だと思ってますから、そういう失敗をたくさんして、それがきっと君たちに素晴らしい道しるべをみせてくれると思います。
 2015年度さくら学院卒業式森ハヤシコメント

 君たちは結果を出そうと頑張ってたけど、あのね、ここにいる俺たち、大人っていうのはね、たくさん負けを経験してここにいるんですよ。
 あの、ほんとに、何度も負けてもよくて、失敗してもよくて。ただ、大切だなと思うのは、これだけは譲れないという信念みたいなもの、なんかそれを幾つか持っていたら、それはすごい魅力だなって俺は思えるんだよね。
 2016年度さくら学院卒業式森ハヤシコメント

 2015年度は卒業生全員がさくら学院を卒業と同時に芸能界を引退するという年だった。彼女たちの行く末を案じたであろう森が贈った言葉は実にストレートに自分のことをさらけ出している。生徒たちの前で「挫折したことがある」と伝えるのは勇気がいっただろう。
 かつては芸人として夢を見、挫折を経験し、仲間がどん底で苦しんでいる姿も見てきた男の言葉は重く、さくら学院生徒への眼差しは優しい。


 森が、さくら学院の父兄、その多くは中年男性に、絶大なる人気を誇るのは当然のことだろう。男たちは理屈ではなく、言葉のふしぶし、身のこなし、表情などから彼が苦労してきた人間であり、深い人間性を持っていることを感じとる。

森「特に一番最初にさくら学院と絡んだ2010年の学院祭は…。みなさん、かわいい女の子たちを見に来てるわけじゃないですか。そこに自分みたいなワケ分かんない男が出てきたら、罵声を浴びるんじゃないかと思って。もう、行く途中の東横線はブルーでしたよ。(中略)
帰りもね、自分ではあまり手応えなかったんですけど、帰りの駅で父兄さんのひとりが近づいてきて『森先生、また先生やってくださいね』って言ってくれて。すごい救われたというか、もう泣きそうになっちゃった」
中元「それ、はじめて聞きました」
森「夜景の中で、観覧車の灯りがにじんで見えたなぁ(笑)」
  G(グラビア)ザテレビジョン Vol.26 2013年3月16日発売より

 

 

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※1

その頃、高校の頃の同級生O君と、彼のクラスメートS君が二人でお笑いを始めるって言い出して、人の目がないと成長しないからつって、文学部のスロープ下で彼らの練習に付き合わされていた。その後、Take Off7でライブをやるようになったって所までは知ってたんだけど、普通に就職して行ったので、そこで終わった話かと思ってた。
まさかとは思ったけど、森君に確認を取った所、やはり森兄はかれらの後輩であった。なんたる偶然。あの練習が脈々と小島よしおなんかに繋がってるかと思うと、ちょっと感慨深いものがあるな。
 http://kangaroopaw.jugem.cc/?eid=277

※2 WAGE時代は森迅史と名乗っている

※3
森ハヤシがフジテレビ社員であったかどうかについては、様々な情報があり判然としないが、
以下の情報とあわせ、森ハヤシが2000年3月に早稲田大学法学部を卒業したことは明確なソースがあることもあり、この稿はフジテレビ就職説をとった。

フジテレビの制作で今年から働いている早稲田のWAGEの森さんと偶然再会。(2001年1月の日記より)
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/3526/diary/matsuoka0101.htm

また、2013年8月に森ハヤシがPodcastラジオかもめんたるにゲスト出演した際、フジテレビ時代の話しをしており(2年いてADをやっていた)、総合すると2000年4月から2年間フジテレビに在籍したと推定される。

※4  http://e-pin.jp/talent/goodman.html 参照

※5

サークルのメンバーは20人くらいいたのですが、マネジメントできるのは5人くらいだと事務所に言われて、一晩中メンバーで会議をして、どの5人を選ぶのかを決めたことをいまでもよく覚えています。
 http://shinronavi.com/present/2017/kojima/

※6
早稲田大学学生部発行週刊広報紙に以下の記載が見られる。

・2001年、合同ライブにお笑いサークルとして出場した際、現在の事務所に声をかけられ、メンバーを絞り当初6人で結成。

・結成メンバーの1人が辞めたこともあった。

 https://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2004a/023c.html

なお、 6人目のメンバーは井手比左士。WAGE離脱後もテレビ業界に携わる。2015年には映画「田沼旅館の奇跡」を監督:井手比左士、脚本:森ハヤシで制作。かもめんたるもキャストとして出演した。
 参照:http://tanumaryokan.com/
    https://twitter.com/makiokamomental/status/654957313900462080
    https://twitter.com/makiokamomental/status/654959291024084992

 

  森ハヤシ並びにWAGEの過去・現在はとにかく面白いのでついつい多くを書いてしまいました。次回は中元すず香との絡みについて語ります。